2008-03-25 21:57:11

風俗渋谷オペラハット [ ブログ ]

風俗 渋谷
足がパンパンだったので
仕事帰りに足ツボマッサージですっきりしました。
他にも展示会の打ち合わせとか色々あるんですけれど
ストレスをどうにか逃がしていかないと
大変なことになります。
さて、スティルインラブが星になりましたか。。
03オークスは生で観ているはず。
最近の東京はキンカメとディープのイメージが強くて
どのレース現場で観たか忘れてきているけれど
メジロラモーヌ以来の偉業だった。
動物の手術って中々成功しないね。
去勢は大抵安全に成功するけれど
蕁麻疹や鞍傷、腱炎、
病気は治りにくい記憶しかない。
馬達はみんな元気にしているかなあ。。
カワカミプリンセスも復帰するのだろうか風俗?アリバイ?
繁殖にあがってもいいと思ったり。
それにしても、
ナリタブライアン、エルコンドルパサー、アドマイヤベガ。。
夭逝した優駿は数知れず。。
合掌

Posted by ken at 2008-03-25 21:57:11 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-25 21:56:59

渋谷デリヘルなな訪問者 [ ブログ ]


仕事帰りにトルネードマートのファミリーセールへいってまいりました。
トルマ着る人ってかわった人が多いなあと
周りを見回して思いました。
2chでぎゃーぎゃーさわがれるわけだ笑
靴が欲しかったのですが
トンガリすぎのものばかりなのとファミセ特有
サイズと箱があってない汗
など夏はサンダルだけれど靴も重要なんだよね。
ブーツばっかりなので
ちょっと欲しかっただけに残念。
シャツ試着してみるけれどしっくりこない。
疲れ目でやつれているせいもあるかなあ。。
とにかくトルマのファミセっていいものが無さすぎ!
トルマにはちょっと飽きてきたかもしれない。
キラキラデニムを70%オフでゲット。
穿き潰す勢いで着ます。
オフでリーバイスぐらいの値段って
考えたら日本製とはいえプロパー高いなあ。。
明日は大忙しだ。
渋谷デリヘル

Posted by ken at 2008-03-25 21:56:59 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-25 21:56:47

競馬予想は息を入れる [ ブログ ]

競馬 予想
エアコンのリモコンがどっかいってしまったので
私の部屋冷房がつきません
扇風機でしのげたものの
この湿度はきつい。
母がフランスへ旅行に行きました。
モンサンミッシェルにパリ。。うらやましい。。

Posted by ken at 2008-03-25 21:56:47 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-25 21:56:33

風俗の曙町 [ ブログ ]

風俗♪

ファミセで買ったパンツをすそ上げ頼みに
いつものブティックへ。
いっつも凄い服持ち込んできますねと言われた。
個人的にはオトナシメで合わせやすいとは思うんだけれど。。
時間が出来たのでパラスパレスの友達のところへ。
色々とお話をする。カタログや次のモデルやってくれるって
約束を取り付けた。
K1飽きたけれどちょっと観ながら制作。
トンボ玉はいっつも緊張する。
素地玉しか造れなくなっちゃったけれど。。
宣伝のDMもっと配らなくちゃな。
作品もしっかりして。
8月はとんでもなくアクティヴに行かなくてわ。
もう二時回ってる!仕事頑張りマッスル!寝よ

Posted by ken at 2008-03-25 21:56:33 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-25 21:56:22

海外特派員で高収入 [ ブログ ]

高収入
冷房が効かずあちー
セコセコDM宛名を書く。
休み休みね。
10年前に比べて
新陳代謝が悪くなった気がする。
落したい体重までに落せない。
肉ってお腹からついてくるんだよね
間食が多いせいかなあ。
個人的には痩せ気味ぐらいがちょうどいいんだけれど
ちょっと体型が気にはなっている。
やっぱりスレンダーな体型が一番いい。
休みは休むといった感じになった。
熱中する物が減りつつある。。

Posted by ken at 2008-03-25 21:56:22 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-25 21:55:53

風俗求人で大森 [ ブログ ]

さて、今日はホント残念に思ったことがありました。
演劇を続けるきっかけをくれた仲間で、
大事な友達だったんだけれど
一年以上前かな風俗?アリバイ?久しぶりに彼氏ができて
展示会に遊びに来たりはしてくれたけれど
だんだん連絡返してこなくなって
仲がいいとさ、心配というより怒りたくなるのね。
ちょっと怒り気味にメールしたら
「彼氏が怒って怖いからメールできなくてごめんね、展示会も
いけないがんばってね」って返ってきたの。
なんかさ、彼氏の奴隷なの風俗?アリバイ?って思った。
友達と連絡も取らせない彼氏って異常だと思うし、
そんな人と付き合っている友達も普通じゃないと思ったんだけれど。
苦楽を共にした仲間だから本当に残念。
彼女が目を覚ます日がくるんだろうか。。
それとも友達が幸せなら私から離れていっても
仕方の無いことなのかな風俗?アリバイ?
風俗 求人

Posted by ken at 2008-03-25 21:55:53 | コメント(0) | Trackback(0)

2007-12-26 14:56:26

いまから [ ブログ ]


学生時代、
「ええもんたっかいんは当たり前、
ええもんやっすいのは・・・」
で有名なスーパーの生活用品売り場でバイトしていた。
当時はPOSじゃなくて、値段と品目を全部手で打っていた。

Posted by ken at 2007-12-26 14:56:26 | コメント(0) | Trackback(0)

2007-12-26 14:04:51

木の芽時 [ ブログ ]

娘の二人の担任のうち、一人が病気で退職したという。
役員の会議、懇談に顔を見ないと思っていたが、
単に出張か有休かと思っていた。
そうではなかったようだ。
教頭が言う提出された診断書に、
純粋な体の疾患ではないことが書かれていたのではないかと
想像する。

Posted by ken at 2007-12-26 14:04:51 | コメント(0) | Trackback(0)

2005-12-31 00:19:53

 蘭軒が児に示す詩は [ ブログ ]

病中偶作の詩の後に附してある。「病中偶作。上寿長生莫漫求。百年畢竟一春秋。彭殤雖異為何事。花月笑歌風雨愁。」「同前示二児。富貴功名不可論。只要文種永相存。能教誦読声無断。便是吾家好子孫。」
 此詩題に二児と云つてあるは注目すべき事である。当時蘭軒三十八歳、妻益三十二歳で、子供は榛軒の棠助十一歳、常三郎十歳、柏軒の鉄三郎五歳であつた。わたくしは初め読んだとき、二児とは稍長じてゐた棠助、常三郎を斥して言つたので、幼い鉄三郎は第(しばら)く措いて問はなかつたのだらうとおもつた。既にして伊沢分家の人々の常三郎が事跡を語るを聞いて、憮然たること久しかつた。
 常三郎は生れて幾(いくばく)もあらぬに失明した。しかのみならず虚弱にして物学(ものまなび)も出来なかつた。それゆゑ常に怏々として楽まず、動(やゝ)もすれば日夜悲泣して息(や)まなかつた。某(それ)の年の大晦(おほつごもり)に常三郎の心疾が作(おこ)つて、母益は慰撫のために琴を弾じて夜闌(やらん)に及んだことさへあるさうである。
 詩に謂ふ二児は、即ち十一歳の榛軒と五歳の柏軒とで、常三郎は与(あづか)らなかつたのである。
 夏に入つて四月八日に、蘭軒の三女が生れた。頃日(このごろ)伊沢分家に質(たゞ)して知り得たる所に従へば、蘭軒の長女は天津(てつ)で、文化二年に夭した。其生年月を詳(つまびらか)にしない。二女智貌童女は文化九年中生れて七日にして夭した。三女は今生れたものが即是である。名を長(ちやう)と云ふ。以上皆嫡出である。そして長が独り長育することを得た。勤向覚書に云く。「四月八日妻安産仕、女子出生仕候、依之御定式之血忌引仕候段御達申上候、同月十一日血忌引御免被仰付候、明十二日御番入仕候段御達申上候。」
 此月二十一日蘭軒に金三百疋を賜つた。「霊台院様御病中出精相勤候に付」と云ふ賞賜である。上(かみ)に云つた如く、霊台院殿信誉自然現成大姉は津軽氏比佐子で、墓は浅草西福寺にある。比佐子夫人の事は岡田吉顕(よしあき)さんに請うて阿部家の記録を検してもらつた。

Posted by ken at 2005-12-31 00:19:53 | コメント(0) | Trackback(0)

2005-12-30 00:19:38

その六十九 [ ブログ ]

甲戌早春の詩の後に、羽子(はご)、追羽子の二絶がある。亦此正月の作である。わたくしは其引の叙事を読んで奇とし、此に採録することとした。二絶の引は素(もと)分割して書してあつたが、今写し出すに臨んで連接せしめる。「初春小女輩。取子一顆。植鳥羽三四葉於顆上。以一小板。従下逆撃上之。降則又撃。升降数十。久不落地者為巧。名曰羽子戯。蓋清俗見之類。又数伴交互撃一羽子。一人至数撃者為勝。失手而落者為負。名曰逐羽子戯。」其詩はかうである。「街頭日夕淡烟通。何処梅香月影朧。嬉笑女郎三両伴。数声羽子競春風。」「春意一場娘子軍。羽児争打各成群。女兄失算因含態。小妹軽却立勲。」
 正月の末に足の痛が少しく治したので、蘭軒は又出でて事を視ようとしたと見える。そこで二十三日に歩行願と云ふものを呈した。勤向覚書に云く。「文化十一年甲戌正月二十三日足痛追々全快には御座候得共、未聢と不仕候間、歩行仕度奉願上候所、即刻願之通被仰付候。」次で二月三日に、蘭軒は出でて事を視た。覚書に云く。「二月二日、明三日より出勤御番入仕候段御届申上候。」
 蘭軒は此(かく)の如く猶時々起行を試みた。そして起行し得る毎に公事に服した。後に至つて両脚全く廃したが、蘭軒は職を罷められなかつた。或は匐行(ふくかう)して主に謁し、或は舁(か)かれて庁に上つたのである。
 二月二十一日に阿部正倫(まさとも)の未亡人津軽氏比佐子が六十一歳で、蘭軒の治を受けて卒した。比佐子の父は津軽越中守信寧(のぶやす)であつた。勤向覚書に「廿五日霊台院様御霊前え献備物願置候所、勝手次第と被仰付候」と記してある。霊台院は即比佐子である。
 ※斎(かんさい)[#「くさかんむり/姦」、7巻-142-下-4]詩集に剰す所の春の詩数首がある。わたくしは其中に就いて神童水田某を褒めた作と、児に示した作とを取る。
 水田某は幼い詩人であつた。「水田氏神童善賦詩、格調流暢、日進可想、聊記一賞。撥除竹馬紙鳶嬉。筆硯間銷春日遅。可識鳳雛毛五彩。驚人時発一声奇。」

Posted by ken at 2005-12-30 00:19:38 | コメント(0) | Trackback(0)